かつて誰かがレナード・コーエンに「それほど頻繁に作品を出しているわけではないのに、なぜあなたは一貫して質の高い作品をリリースし、安定した活動を続けられていると思うか」と質問したことがある。彼の答えは確かいささかドライなもので、「・・・おそらく作品を数多く出さないからこそ、質を維持できてきたんだろう」なんて調子だったと思う。
それと同じことが、過去14年間にスタジオ・アルバムを3枚しかリリースしていない寡作なバンド=ポーティスヘッドについても言えるかもしれない。97年発表のセルフ・タイトル作以降、彼らは周囲から完全に孤立して存在しているように見えたし、(ライヴ・アルバムのリリースを除き)これといった新たな活動の情報も途絶えたまま、ポーティスヘッドはあたかも永久に活動停止状態になってしまったようだった。
しかしそんな中、カルトな音楽フェスティヴァルATPが彼らの出身地サマーセットにある街マインヘッドで昨年12月行なわれたイベントNightmare Before Christmasのキュレーションをポーティスヘッドに依頼した。そのフェスティヴァル向けにポーティスヘッドの面々が自らセレクトした出演アクトの顔ぶれは彼らの中にダークなうごめきが存在するのを示唆するクセのあるものだったし、その際ポーティスヘッド自身が披露したパフォーマンスはこのバンドのアーティスティックなエネルギーが今もピーク時にあることを物語る、素晴らしい内容だった。
このフェスティヴァル出演後、彼らの新たなサウンド/完全なる自己刷新ぶりを非難する声もあがったが、音楽に関して言えば変化は悪いことでもなんでもない。たとえば「Dummy」から「Portishead」に至る緩やかな、しかし確実な変化を思い出してみてほしい。荒涼としたゲルマン風楽曲「Cowboys」やドゥーム・ロック的なせり上がりを聴かせる「Half Day Closing」といった曲にはモノクロームな闇が既にはっきりと存在していたし、それに較べればファースト「Dummy」はむしろ古いスパイ映画のサントラや物悲しいトーチ・ソングのバリエーションと言える。ファーストは「トリップ・ホップ」という(当時は新しかった)カテゴリーに分類される作品だったわけだが、セカンドにその影はほとんど残っていなかったことになる。もちろんあの作品にも「Dummy」の放っていたタバコの紫煙がたゆたう場末のキャバレー・・・といったムードは流れていたものの、それと同じくらい「Portishead」にはコズミックな面も存在していた。そしてこの3作目において、彼らは完全にあらゆる音楽的境界/枠組みから逸脱した音楽を生み出してみせた。ということは、外部との接触を絶ち、いずこともなく消えていたように見えた彼らの完全なる沈黙の数年間は、自分達のサウンドを次のレベルへ押し上げるために必須の期間だったと言える。カテゴライズを一切寄せ付けない音楽という点が、この作品の勝利の秘密だと思う。
もちろん他に無数のインスピレーションがちりばめられているとはいえ、前作から引き続き理知的なドイツ音楽~クラウト・ロック風なトーンは最新作にも息づいている。スクラッチとマリファナたばこの靄に包まれたごとき初期のクラブ音楽っぽいムードは姿を消し、その代りこの長いインターバルの間に彼らが辿ってきた音の旅路を反映させた、ダークでムーディなサウンド・スケープがアルバムに立ち上がる。BBC音響ワークショップを思わせる奇っ怪なサウンド・エフェクト群(ホワイト・ノイズ等)、ブラック・サバス、シルヴァー・アップルズ、スコット・ウォーカー、OM・・・などなど様々な名前が想起されるが、過去と決別し生まれ変わったバンドによる作品という印象はまったく感じない。むしろ「新たな活力を手にしたバンド」という表現の方が当たっているだろう。
恐らく誰も(どこかに消えてしまったと思えた)ポーティスヘッドが新しいアルバムを出すとは期待していたなかったし、しかもこれほど素晴らしい作品を作り上げてくると予想してもいなかっただろう。だがこの作品は、彼らにとって疑問の余地なく記念碑的な作品だ。このアルバムの楽曲がどれだけの期間あたためられ醸成されていたかを推し量るのは難しいが、その期間が10年であれあるいは6ヶ月であれ、いかにすべてのアレンジが細部にわたって煉りこまれ丁寧に吟味され、的確にプロデュースされているかという点ははっきりしている。サンプリングから生演奏までこの作品には数え切れないほどの音が凝縮された濃厚な音が鳴っているものの、音楽としてトータルで聴くと混乱としたところは一切なく、整然とまとまっている点も特筆に価すると思う。本作に収められた楽曲群は、ポーティスヘッドがこれまで生み出してきたアルバム(=曲単位ではなく、1枚通して聴く「セット・ピース」としての一群のコンポジション集)の中でもベストなものだし、本作がポーティスヘッドというユニットとしての最後のアルバムになるのでは?という噂がもしも本当なら――彼らはまさに絶頂期を刻んだままシーンから去ることになる。
「Silence」といういかにもポーティスヘッドらしいタイトルのアルバム1曲目は、ジョン・ケージを思わせるヴォーカル・サンプリングから始まりやがてコンガの優雅で、しかし野性的なビートへリズミカルにビルド・アップしていく。「Hunter」は誰も訪れない忘れられた渓谷のようなドリーミィなトーンを湛えた曲で、チャールズ・ロートンの名作「狩人の夜」(偶然にもこちらのタイトルに「Hunter」という言葉が含まれている)に登場する夜空の星がぱちゃぱちゃ映る川面を滑っていくイメージが浮かぶものの、コーラス部ではトニー・アイオミ風なヘヴィー・メタル・リフが顔を出す。セカンド・シングル「The Rip」はこちらの神経シナプスを震わせその中へと徐々に溶解していく美しい曲だし、「We Carry On」で再現されたシルヴァー・アップルズの冷徹なオシレイター・サウンドは見事としか言いようがない。この曲でのベスのヴォーカルは秀逸で、スタイルを切り替えながら歌い上げる彼女の声はこれまで以上に物憂く不気味なトーンを放っている。スタッカートするドラム・マシーンが印象的な「Machine Gun」の炎のごときリフはまるで後期ジミ・ヘンドリックスの同名曲へのトリビュートにすら聞こえるし、このサウンドのシャープなスネアの連射に聴き手は降伏せざるを得ないだろう。
・・・という具合にラストまで次々と息を呑まされるこのアルバムの収録曲はどれも際立った個性を放っており、そのどれもが負けず劣らずの出来。聴くうち我々聴き手は「ポーティスヘッド:2008」の世界と感性の中へと深く沈みこんでいくことになるが、そこにはもはやちょっと気の利いたオシャレ・アイテムとしてもてはやされた90年代半ばの彼らはいない。今の彼らは、完全なるクリエイティヴ・コントロールを乗りこなしつつ、同時にどこまでも自由に漂泊しているバンドなのだ。
明らかに彼らのファンであり、と同時に好敵手でもあるレディオヘッド(先日「The Rip」をカヴァーしている映像が発表されたばかりだが)もまた、ポーティスヘッドと同じくらい自分達の作品の質をタイトにコントロールしようとしているバンドだ。しかし本作「Third」を聴いた瞬間、彼らはきっと「やられた!自分達もこれくらい聴き手を不安に落とし込む、しかも優れた作品を作れたかもしれないのに・・・」と地団太踏んだに違いない。そして音楽的には月並みな作品であるにも関らず、リリース形態の革新性ゆえに世界的なフィーヴァーやメディア・バズを引き起こした「In Rainbows」を、いっそこんな風にひっそり出せば良かったかもしれない、と臍を噛んだに違いない。
この作品は、現時点での僕にとってのアルバム・オブ・ジ・イヤーだ。だがそればかりではなく、オールド・スクールなベテランにもまだまだ新たなチャレンジは可能であること、そして彼らは他の誰よりも見事にそのチャレンジを達成することができるという点を明快に証明してみせたという意味でも、素晴らしいアルバムだと思う。
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