Calvin Johnson、WHO are you?――というわけで、オリンピアのDIY番長/Kの総帥/ダブナルコのサム・フィリップス(?)等々いくつもの顔を持つキャルヴィン・ジョンソンだが、今夜の顔はパフォーマー。キャルヴィン絡みのプロジェクトで新作が出たわけでもなく、割と唐突なタイミングで決まった今回のUKツアーながら200人弱のオーディエンスが集まったのはさすがである。マウント・イアリ、キミヤ・ドーソン、アーリントンを始めKアーティストはちょこちょこイギリスにツアーに来ているけど(ジェレミー・ジェイとエイドリアン・オレンジ、来てくれないかなあ・・・)、大将の登場は久々になる。
会場になったのはアーセナルの旧スタジアムの近くにあるユース・クラブ。ボーイ・スカウト連中とか近隣の子供達が習いごとや集会に使う、日本で言えばさしずめ地元の公民館と言えるだろうか(ただの四角い部屋で、板張りの床、白い壁には子供達の手書きのイラストなどが張ってあってかわいい)。オール・エイジの精神は健在です(とはいえ酒類の持込は可だったので、客の多くはビールだのワインをおのおの持参していた)。筆者がお手伝いしているUSインディ・シーンに関する単行本(今秋刊行予定)のためにライヴ前に取材することになっていて、待ち合わせ時間を15分ほど過ぎて本人を乗せたヴァンが到着。スーツケースにギター・ケース、段ボール箱2、3個と荷物は実に少ない。マンチェスター公演を前日に終えこの日の午後ロンドンに到着したばかりというキャルヴィンは、開口一番スタッフに紅茶をリクエストし、マーチャンダイズのテーブルを自らてきぱき準備し始める。アルバム・ジャケット写真をイメージしていたが、現物はもっと痩せていて短く刈り込まれた髪も精悍、着古したTシャツも男物とは思えないピタ・サイズだ。キム・フォウリーの面影もちょっとだぶるのでびっくりする。
スケジュールが押し気味なのに悪いなぁと思ったが、こっちも仕事なので挨拶したところキャルヴィン、「そうか!取材だった」と即座に手を止め、インタヴューに応じてくれることに。取材に使える適当な空き部屋はなかったが、「じゃ、外でやろうか」と建物の隣の駐車場エリアにある木陰に引っ張られ急遽取材開始(笑)。途中で雨が降り出し、紅茶のカップに枯葉が落ちてくるわ、キャルヴィンにさしかける傘と質問表が風と雨粒にバタバタしっぱなしだわ、最後まで崩さないポーカー・フェイスに取り付く島がない!(余計なリップ・サービスは一切なし)って調子で大変だったが、雨に濡れているのに文句も言わずぎりぎりまで時間を割いてくれ、DIYとアンダーグラウンド観、Kのあり方、盟友(イアン・マッカイ、ブルース・パヴィット他)への信頼/リスペクトを忌憚なくシャープなウィットもまじえながらサクサク語ってくれた。どんな世界でも、何かを成し遂げた人の話はやはりとても面白い。そして、やはりとても頭がいい人。取材したことがないので100%の確信はないけど、モリッシーもインタヴューではこんな感じなのかもしれない。
前座の代わりに「みんなでゲーム時間」というのが設けられていたのだが、トウィスターとかやる羽目になったら大いに恥ずかしいのでパスすることにし、いったん会場を離れて時間つぶし。近所にある知人の知人がやってるギャラリーをチェックしたりしていたら、うろうろしている一群の男女に遭遇。「キャルヴィンを観に来たっぽいぞ」という筆者のカンは大当たりで、周囲は住宅街で普段インディ・キッズにまったく縁のないエリアだけに道に迷って困っていたという彼らと共に会場に入る。ステージは特になく、かろうじて入口の正面奥に置かれたスピーカーとマイクがパフォーマンス・エリアであるのを告げている程度。床に座ってしばらく待っていると、マーチャン台(本人はマーチャン台ではなく「(フォノグラフ・レコードを始め色んなものが買える)お土産テーブル」と呼んでいるのがとてもチャーミングでした)でマメマメしくレコードやCD、カセット・コンピ、バッジにステッカーを売りさばきサインに応じていたキャルヴィンが人々の間を縫って前にやってくる。登場アナウンスもMCもなしにケースを開け、アコースティック・ギター(「What Was Me」アナログ盤にも写ってる、あのギターです)を手にオーディエンスの前にすっと立った彼の姿に、それまでガヤガヤ談笑していた人々がピタリと口をつぐみ、瞬時に静寂が訪れたのはかっこよかった。カリスマってやつですね。
ただのコンクリの建物で室内反響がひどかったため、マイクもスピーカーも使わずの完全なアンプラグド。「僕の書いたリトル・ソングスを披露します・・・」との挨拶から「Apple Core」でスタート。あのバリトン声を朗々と響かせつつ、尊大な孔雀のようにゆっくり動きながら時に威嚇するようにオーディエンスをねめつけていく、一種挑戦的な姿はなんとも不思議だ。スロー・モーションのラックス・インテリア?にも見えるし、逆に実は内心緊張しているからこそ(いくらキャルヴィンでも、大勢の人間を前にア・カペラに近い歌を歌うのは度胸がいるだろう)のはったりか?のようにも見える。どっちなのかは分からないが、こんなにシンプルで静かな音と最小限の動きでリスナーをふんにゃり居心地悪くさせるのは大したものです。
「Before The Dream Faded」収録曲やメドレーも含むセットで、合間に紅茶を飲みつつ繰り出すアルバムの音と直結した淡々/飄々とした演奏ぶりはフォークウェイズのレコードやウディ・ガスリー並みに簡素。キャルヴィンの低い声はモノトーンだし(スティーヴン・メリットはこの唱法をパクったのだろうか??)、基本ストロークのみの素朴なギター・プレイゆえソロもない。だが歌いまわしそのものに独特なグルーヴ感があるので、フォークとトーキング・ブルースの中間とでも言うべきひねりの効いたスタイルは徐々に胸にしみてくる感じ。途中でマンチェスターからロンドンに旅してきたこの日の経過を手ぶり身振りもちりばめての巧みな話術で話してくれたのだが、格安長距離バス(→「乗車代1ポンド!」が売りのメガバス。貧乏人に重宝されてます)でツアーしてるという事実以上に(預け荷物が規定数を上回って運転手にネチネチ叱られたり、ドライヴインのトイレ休憩から戻ってきたらもうバスが出発していたとか、しょうがないから電車で先回りしてバス・ステーションで荷物を待ったとか、大変だったらしい)、曲より長く喋ってるのがおかしい(笑)。イーヴンズのライヴでイアン・マッカイがやたらと喋るのを思い出して、やっぱ友達同士似ているなーと変なところで感心した。
セット・リストももちろんなく、その場で曲を決めていくフリー・スタイル。最後の方ではお客からのリクエストにも応じていたし、ギターもなし、風呂場で鼻歌を歌っているかのごとき歌いっぷりで奇妙なダンス(クネクネしてました)と共に披露される曲など、バスター・キートンのような無表情ユーモアを貫きながら、しかし予定調和ゼロのライヴ進行はとても新鮮だったし、ちゃんとしたPAや照明、ステージすらなくたって、やろうと思えばそれこそどこでだって、こういう音楽と言葉を中心にしたコミュニケーション:ギャザリングは可能なのだなーと感じてちょっと胸が熱くなった。もちろんそれは、ロンドンの後にはノーザンプトン、そしてブリストルに遊びに行き、更には小さなフォーク・フェスティヴァルにも出る・・・と話していたこの人の、ギター片手にどこにでも行けそうな行動力と他人任せにせず自分で何でもやる姿勢、興行収益よりもパフォーマンスをどこにでも誰にでも届けることに重点を置く誠意、そして人々を惹きつけるサムシング(キャルヴィンの場合は、子供と大人/哲学的なシリアスさと無邪気さ/ハードボイルドと童話が同居した歌とエニグマティックなキャラクターになる)があってこそなのだけどね。誰にでもできる芸当じゃないし、メインストリーム・カルチャーに対するオルタナティヴな方法論を四半世紀にわたって提示し続けてきた人ならではのガッツ(Tweeなイメージの強いキャルヴィン/Kだけど、根底はロックンロール!だと思う)を感じずにいられなかった。日本にまたツアーで行く機会があったら、ぜひこの御仁を生体験してみてほしいもの。個人的にはバンドでも観たいなぁ、やっぱり。
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